■ 大蔵省時代 |
昭和44年7月 |
大蔵省入省。
国際金融局総務課に配属され、一年先輩の村田吉隆氏(元国務大臣国家公安委員長)の隣に席をもらい、毎晩遅くまで公私にわたり指導を受けた。その上の上司は池田行彦氏(故人 元外務大臣)で厳しく鍛えられた。 |
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昭和47年7月 |
主計局法規課調査主任。
在任中、私の父中川圭一と妻の父原文兵衛が旧制府立四中(現戸山高校)の同級生であったことから見合いをし、昭和48年4月妻美穂と結婚した。
仲人は当時の主計局長 相沢英之氏(元国務大臣)、司葉子夫妻。
妻の父原文兵衛(故人)は、警視総監の後、東京選挙区で参議院議員となり、環境庁長官、参議院議長を務めた。
妻の母原光子は、北海道の町村農場を拓いた元参議院議員町村敬貴(故人)の次女で、北海道知事や自治大臣を務めた町村金五(故人)は叔父、元衆議院議長の町村信孝(故人)は従弟にあたる。 |
昭和49年7月 |
徳山税務署長。
27歳で山口県の徳山税務署長に就任し、税務行政の第一線の責任者として貴重な経験を積んだ。 |
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昭和50年7月 |
国税庁人事課課長補佐。
昭和52年3月17日出張で乗り合わせた千歳発仙台行全日空724便でハイジャックに遭遇し、他の乗客3人とともに犯人を取り押さえ、警察庁長官、運輸大臣などから表彰を受け、当時ちょっとした時の人となった。
事件の模様を報じた新聞
(昭和52年3月18日読売新聞朝刊)。
記事中の写真の右端が中川雅治
*掲載に当たっては「読売新聞社」の許可を得ています。 |
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昭和52年7月 |
銀行局銀行課課長補佐。
我が国の銀行の長期金融、外国業務の監督を担当し、金融行政に携わった。 |
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昭和54年7月 |
主税局税制第一課課長補佐。
土地税制、利子課税制度の改正作業に携り、徹夜の続く毎日であった。 |
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昭和59年6月 |
主税局総務課企画官。
税制の企画・立案作業の総合調整や国会対策を担当した。
大蔵省入省15周年記念で夫人とともに。
2列目の左から2番目が中川雅治、前列左端が妻の美穂
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昭和60年6月 |
東京国税局調査第一部長。
大企業の税務調査の責任者を務めた。 |
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平成2年7月 |
主計局主計官。
文教・科学技術予算の編成を担当した。 |
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平成3年6月 |
理財局国債課長。
国債の発行市場、流通市場の整備に努力した。 |
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平成4年7月 |
理財局資金第一課長。
財政投融資計画の編成を担当した。 |
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平成6年7月 |
福岡国税局長。
在任中、福岡大学法学部非常勤講師を務めたほか、中学、高校に自ら出向き、税金の役割や仕組などを講義した。
福岡市の中村学園高校で税金の役割と仕組を講義
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福岡市天神で開催された税金展の
オープニングセレモニーで挨拶、テープカットをする |
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平成7年5月 |
国税庁調査査察部長。
全国国税局のマルサを指揮。 |
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平成8年7月 |
理財局次長。
平成10年、慶應義塾大学経済学部で「金融資産市場論」の講師を務めた。
平成8年7月の写真。
中川雅治と妻の美穂
妻の父 原文兵衛(元参議院議長)と 妻の母 光子
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平成10年7月 |
理財局長に就任。
大蔵省理財局で次長を2年、続けて局長を2年半務め、その間財政投融資制度の改革を成し遂げた。
当時の理財局幹部と理財局長室で。
前列右から5番目が中川雅治
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■ 参議院選挙〜現在 |
平成16年7月 |
参議院議員選挙に立候補。
「東京選挙区」でトップ当選を果たす。
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平成18年2月 |
参議院財政金融委員会理事に選任。
金融商品取引法の成立や公認会計士法の改正に尽力した。 |
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平成18年8月 |
参議院ODA調査でモンゴル・中国に出張、ODA改善策を提唱した。 |
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平成18年10月 |
自民党総務に就任。
自民党の最高意思決定機関のメンバーとして党の政策決定等に参画した。 |
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平成19年1月 |
参議院憲法調査特別委員会理事に選任。
国民投票法の成立に尽力した。 |
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平成19年8月 |
自民党環境部会長に就任。
平成20年7月の北海道洞爺湖サミットに向けての我が国の地球温暖化対策の取りまとめ等に汗を流した。 |
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平成20年5月 |
ドイツ政府の招待で自民党環境部会長として小池百合子元環境大臣らとドイツを訪問、環境政策推進の現場を視察、関係者と意見交換した。 |
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平成20年9月 |
参議院文教科学委員長に選任。 |
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平成21年2月 |
日中与党交流協議会に、日本側代表議員として参加。 |
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平成21年7月 |
与党「低炭素社会づくりに関するプロジェクトチーム」に参画、「低炭素社会づくり推進基本法案」を国会に提出。 |
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平成22年7月 |
参議院議員選挙
「東京選挙区」で再選を果たす。
当選直後の万歳三唱 |
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平成22年7月 |
参議院沖縄・北方問題に関する特別委員長に選任。
普天間、尖閣諸島、北方領土等の諸問題の審議に力を尽くした。
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平成23年10月 |
自民党政務調査会副会長に就任。
自民党の全ての政策決定に参画。
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平成25年11月 |
参議院国家安全保障に関する特別委員長に選任。
国家安全保障会議設置法と特定秘密保護法の成立に尽力した。
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平成26年10月 |
参議院議院運営委員長に就任。
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平成27年11月 |
自民党総務会長代理に就任。
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平成28年7月 |
参議院議員選挙
「東京選挙区」で三選を果たす。
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平成28年8月 |
参議院自民党議員副会長に就任。
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平成29年8月 |
環境大臣 兼 内閣府特命担当大臣(原子力防災)に就任。
環境大臣として、地球温暖化対策、海洋プラスチックごみ対策、ヒアリ等の外来種対策、地球規模の水銀汚染対策、国立公園満喫プロジェクトの推進、福島の除染、中間貯蔵施設の整備、「福島再生・未来志向プロジェクト」の取組、豪雨等の自然災害による災害廃棄物の迅速・適正な処理、ESG金融の推進等に取組んだ。
又、原子力防災担当大臣として、原子力防災体制の強化に尽力した。
環境省 記者クラブでの会見
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参議院予算委員会で答弁
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日中韓3か国環境大臣会合
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広島県呉市天応地区の被災現場で
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G7環境大臣会合で発言する中川雅治
(左から2人目)
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平成30年10月 |
参議院行政監視委員長に選任。
自民党税制調査会副会長に就任。
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令和元年10月 |
参議院決算委員長に就任。
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令和2年10月 |
参議院自民党幹事長代行に就任。
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令和3年10月 |
参議院憲法審査会長に就任。
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令和4年7月 |
参議院議員引退。
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